どこまでも続く田園風景、日本ときずなの深いまち

展望台よりカウラ一望
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カウラ市はシドニー西郊310キロに位置するセントラル・ウエスト地帯の農業中心地にあります。
18世紀にはゴールドラッシュの町としてにぎわいましたが、今ではオーストラリアきっての白ワインの特産地として知られています。
農業の変遷そのものがこの町の発達の歴史で、放牧農業から生産農業地への脱皮がカウラを大きく変貌させようとしています。 農業のルネッサンスの町カウラへようこそ!!
☆白ワインのまち カウラ!
オーストラリアを代表する白ワインと言えば、かつてはハンターバレー地方やバロッサ地方でした。
ところが最近では幻の白ワインと珍重されるほどカウラワインは人気がでてきました。
その秘密はどこに隠されているのでしょう。
広大な盆地の中央に位置するカウラはブドウの栽培にきわめて適しています。
歴史は浅いのですがカンタス航空のファーストクラス指定銘柄サービスワインに選ばれたり、
有名なレストランのメニューに上がるなど、話題をさらっています。
市内には120以上のブドウ園があり、庭先でのワイン・テイスティングを楽しめるところが12か所もあります。
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━━☆.*゚・。ビジター体験より.*゚・。☆━━
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☆日本兵による大脱走事件、通称 カウラ事件とは?

きのうの敵はきょうの友!60年ぶりの再会!
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カウラ市は日本人兵による世界最大の脱走事件のあった町として知られています。
カウラ大脱走事件は第二次世界大戦の末期、終戦を1年後に控えた1944年8月5日の未明、
この町にあった第12捕虜収容所より1000人近い日本兵が集団大脱走を企てました。
その事件がカウラと日本の関係を今日あるものにしたのです。
231名の犠牲者を出す大惨事で、その悲しみを乗り越えて今では日豪友好親善の「きずなの町」となったのです。
当時の日本政府、そして戦後も永く闇の中に隠されていたカウラ大脱走事件は、
2006年の日豪交流年にNHKが特番報道し、真相が世に出て一躍知られるところになりました。
「カウラ事件の真相」という番組はその時の生存者をルポしたものです。
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| 捕虜収容所跡地 |
世界史上他に例を見ない集団自決の大脱走事件を風化させてはなりません。
この事件は異文化理解の必要性を語りかけています。
1941年カウラ市に捕虜収容所が作られ、はじめはドイツ、
イタリア兵が収容されていましたが、42年の初頭よりガダルカナル、ニューギニア戦線の激化に伴い日本軍捕虜の数が増加、
1944年8月には約1200名を超える日本兵が、カウラ収容所に送られてきました。
捕虜の間には、戦陣訓により「生きて慮因の辱めを受けず」の言葉通り、1944年8月5日未明、
1000余名が、死のための脱走を企てたのです。
即ち、自決目的の突撃を敢行、オーストラリア側犠牲者4名、日本側231名の犠牲者を出したのです。
これがカウラ大脱走事件=カウラ・ブレイクアウト、通称 カウラ事件と呼ばれるものです。
戦後、日本政府は長いことこの事件を極秘とし、事件を闇に葬って来ましたが、関係者が語り始め、国連が公表したことで知られるようになりました。
☆日本人墓地と日本庭園

日本人墓地
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戦後まもなく、カウラ市民の発意と豪州政府の好意により、カウラの市民墓地とオーストラリア軍人墓地との間に、日本人戦没者墓地(日本人墓地)
を設置することが決められ、事件の犠牲者と収容中の死亡兵、オーストラリア各地で死亡し埋葬できずにいた日系民間人など、
約500人余人の遺体を、この墓地に集め埋葬し、カウラ市民の手によって手厚く管理されました。
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| 日本人墓地に顕花する学生 | しかし、残念なことに捕虜になったことを恥じて、偽名を使っていたために本人の身元や肉親がわからない人がほとんどで、いまその身元調査が進められています。
日豪関係が特に厳しかった時期に、日本人墓地の設置に踏み切った当時のオリバー市長の英断は語り継がれています。
市有墓地を日本に寄贈し、豪州軍基地と分け隔てなく清潔に手入れされています。静かに眠る同胞によせられるカウラ市民の温情はヒューマニティー
にあふれ、訪れるひとに深い感動を与えています。
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| 日本庭園 |
この日本人墓地設置を機縁に、両国平和と友好のシンボルとして、日本庭園の建設運動に発展しました。市民運動から発展したこの造園計画は、
日豪両国の政府、民間有志団体の熱意と数々の惜しみない協力によって第一期工事が完成しました。
最終的には、NSW 州と姉妹都市である東京都の援助を得て第二期工事が完成しました。京都の修学院離宮を模したこの日本庭園の完成により、日本人墓地と共にカウラの名は、
日豪親善のシンボルとして知られるようになりました。
カウラ事件にご関心のある方は当園(エドワード・ガーデン)へお尋ねください。どこよりも資料を揃えて応えています。
カウラ事件の研究、調査なら当園をご利用ください。
カウラ大脱走事件の背景:
当時の日本人の考え方・・・ 恥の文化(生き恥をさらすな)、本音と建前の考え方
欧米人の考え方・・・ 生きて帰国すれば英雄になれる。
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関係資料のご紹介
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カウラ事件の関連書籍b>
☆カウラの風 土屋 康夫 著 初版 2004年
☆オーストラリア日本人強制収容の記録 永田 由利子 著 初版 2002年
☆カウラ突撃ラッパ 中野 不二男 著 初版 1986年
☆カウラ出撃 森木 勝 著 初版 1986年
☆カウラ日本兵捕虜収容所 永瀬 隆、吉田 晶 編集 1990年
☆黄色いねずみ 井上 ひさし 著 初版 1977年
映 像 関 係b>
☆映 画 「カウラブレイクアウト」
1982年 製作・オーストラリア 主 演: 石田 純一
☆ドキュメンタリー 「カウラ事件の真相」 NHK 特番放送 2006年
ウェブサイト
みなみかぜ
世田谷区にお住まいの南 清文さんのサイト
(サイト内の「カウラひそかに眠る日本兵たち」をご覧ください)
Cowra Breakout Association: PO.Box 5844 Cowra NSW 2794
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